職人は華の仕事!!
建設業界では当たり前ですが、あまり聞かれなくなった“職人”という言葉。
江戸時代の代表的職人といえば、大工、左官、仕事師ですが、それ以外にも約百四十種類もの職人がいました。
なかでも伝統と気概で江戸の花形だったのが、大工、左官、鳶(とび)の三職でした。彼らは大空のもと、大江戸を築き上げていった建設者であったため、「華の三職」ともてはやされました。
彼らは誇り高く、粋(いき)で威勢がいいという特性をみずからつくりあげましたが、その反面、軽率で、おっちょこちょいで鼻っ柱ばかり強いという欠点もあわせもっていたのです。
そんなふうに彼らを仕立てたのは、修業時代の精神的、肉体的な苦労でした
大工を例にとると、まず、十二から十三歳で親方に弟子入りし、朝は掃き掃除から飯炊きとこき使われます。
早い者で一年、普通でも二年間は、こういった下働きが続くのです。その後、親方の許しを得て、弁当持ちで仕事場に出かけますが、道具の名前を教わる程度で、あいかわらず仕事の内容といえば木屑集めか雑用でした。
夕方になれば、風呂焚き、飯炊きと追い回され、ちょっとでも動作が鈍いと、やれ 「まぬけ」 だの 「うすのろ」 だのと親方に怒鳴りまくられ、ヘマをしようものなら往復びんたが飛んできて、容赦なく飯ぬきの罰が待っていました。
現代にも似たようなスパルタ教育を売り物とする団体がありますが、現代人がこの仕打ちにどれだけ耐えられるでしょうか。
その後、八年目で半人前になれるといわれ、それまではタダ働きだったものが、この頃から、祭りの時期には小遣い銭がもらえるようになり、天まで昇る心持であったと言います。
それからさらに数年の修業を経て、やっと独立できるようになります。あまりの辛さに半数は消え失せると言いますが、現代人であれば、おそらく一人も残らないのではないでしょうか。
江戸の 「華の三職」 の誇りと気概は、この試練を乗り越えてきた “自信” にあるのです。まさに、怖いものなし。
「ってやんでい、べらぼうめ!」 なのです。
大工の賃金は一日あたり五四〇文、普通町民の賃金が三百文ですから、すでに倍ちかいわけです。
そのうえ実労働時間は四時間程度。早朝・残業(黄昏まで)ともなれば時間外手当がつき、実労十時間なら、賃金は二日分になったと言いますから、大工という商売はやめられなかったのです。
また、江戸では頻繁に火事が起こったので、食いっぱぐれもなくひっぱりだこで、笑いが止まらないほど金がふところに入ってきました。
当然遊びも派手に、また粋になりました。
最後に
「江戸っ子は宵越しの銭はもたねえ」 と言われるのはこういうイメージなんですかねぇ~笑
<つづく>
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